

沖縄のイメージは?と聞かれたら何を思い浮かべますか?
わたくしは、青い海、白い砂浜、沖縄風の赤い瓦屋根と、そこに乗ったシーサーです。
多分多くの方が一度はシーサーを思い浮かべたのではないでしょうか?
沖縄のお家の玄関や屋根にはシーサーが飾ってある。そういうイメージ。
最近は九州の地元でもたまにシーサーを飾っている建物を目にしたことはありました。
でもまあ、「そうなんだ」って思っていただけでした。
沖縄に来るまでは。。。
建物という建物には必ずシーサー

イメージ通り、というかイメージ以上にシーサーはいる。
お家はもちろん、お店、会社、公共機関、駅、学校、道路、橋の欄干、いたるところにシーサーがいる。
当然ですよね。沖縄なんだから。
新居の敷地に入る玄関口にももちろんいます。
いつの間にか「行ってきます」「ただいま」の仲です。
そうやって何気なく目にしながら数日過ごしていました。
そして先日、国際通りに遊びに行った時のこと、当然ですが立ち並ぶおみやげ屋さんにはシーサーやハブ酒やちんすこうなどの、沖縄の名物がたくさん売られています。
その時でした、わたくしの身に変化が起きたのは。
シーサーが欲しくて欲しくてたまらない

なぜだか不思議だけど、びっくりするくらものすごくシーサーが欲しくなってきたのです。
赤いのもいいな、ゴールドもいいな。
うわ、100万円越してる。とか、この大きさでこれくらいならお手頃だな。とか。
もうシーサーしか見えません。
途中でふと気付いたんですよ。なんでこんなにシーサーが欲しいんだろうって。
これが世に言う「刷り込み」なのだろうなと。
「サブリミナル効果」と言っていいかもしれません。
毎日毎日目にしていることで、いつの間にかわたくしは目に見えない力でシーサーに惹きつけられていたのです。
とっても強く。

シーサーの由来

そもそもシーサーはどこから、どのようにして沖縄にやってきたのでしょうか。
シーサーは元々、古代オリエント文明の「獅子(ライオン)」が起源と言われています。
当時の古代文明では、強さや富の象徴として「獅子」の石像を創り大切にする文化がありました。
その文化がシルクロードを経由し中国に伝わります。中国では、邪を払い福を呼び寄せる象徴として王宮などに祀られていました。
その後沖縄に伝わったのが13〜15世紀ごろ。当時は王族や一部の貴族だけにしか「獅子」=シーサーを祀ることが許されていなかったので、城門や王宮にのみ設置されていました。
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シーサーが愛されるようになった歴史
その後1689年、富盛(沖縄県八重瀬町)で火災が度重なり、困った住民が久米村の蔡応瑞(大田親雲上)に風水で占ってもらったところ、八重瀬岳が火山(フィーザン)であることが原因だという結果が出ました。
そのため八重瀬岳の方角に向かって「獅子=シーサー」を祀り、八重瀬岳を鎮めたため、火災が起きなくなったとされています。
明治時代に入り、士族にしか許されていなかった赤瓦が一般に解禁されると、守り神としてのシーサーを屋根に祀る文化が一気に広く一般に普及していきました。
これがシーサーが守り神として沖縄で広く愛されることとなった歴史と理由なのです。

八重瀬岳を鎮めた歴史的なシーサーは、沖縄県指定有形民俗文化財として今でも八重瀬岳を見守っています。
シーサーは雌雄で一対
こんなに広く愛される歴史をもつシーサーですが、雌雄一対で飾るのが一般的です。
風水によると獅子は夫婦一対で陰と陽を表し、陰陽で結界を張り家の中に邪気を入らせないようにする意味があるといいます。

金剛力士像や狛犬のような阿吽(あ・うん)の像のように、「阿」と口を開いた方がオス、「吽」と口を閉じている方がメスだそうです。
金剛力士像などと同じく、自分から向かってこちら向きにオスを右、メスを左に配置するのが正しい配置の仕方です。
オスとメスがあるなんて知らなかった。
募るシーサーへの想い
知らず知らずのうちにシーサーに惹きつけられていたわたくしですが、シーサーの由来や、こんなにも愛されるようになった歴史を知って一層シーサーへの想いが大きくなってしまいました。
本格的なシーサー職人さん(瓦職人さん)が作るシーサーも見てみたいし、手作りでオリジナルのシーサーも作ってみたい。
そう思って国際通りのお土産屋さんでせっかく我慢していたのに。
我慢しきれずに買ってしまいました。

どちらにしても必ず自分で手作りしたシーサーは欲しいので、また近々シーサー探しの旅には出たいと思っています。
伶花

