三日坊主って言葉があるじゃないですか。

辞書を見てみると、仏の道に入ろうと出家して坊主になっても、厳しい修行に耐えられず三日でもとの俗世間に帰ってしまうことから、何事も飽きっぽく三日と続かないことをいう言葉とのこと。

語源的には仏道の修行が厳しいから続かないとあるので、なんとなく理解はできるけど、実際に使われる場面では「厳しくて続かない」から「飽きっぽいから続かない」になってます。

なんか、三日しかもたない事実は一緒だけど、理由づけが大きく違うような気がする。

前者は共感するけど、後者はなんとなく飽きっぽいお前のせい。と言われているようで。

まあ、典型的な三日坊主体質な私の耳が痛いだけかもしれないんですけど。

 

三日坊主の杉澤@BeautyMania32です。おはようございます。

 

三日坊主が一年続いた理由

そんな三日坊主の私が唯一、一年以上も続けているこのブログ。

脱サラしたタイミングではじめて、こんなに長く続いているのに自分でも驚いています。

というのも、実は以前にも同じドメインでブログをやっていたことがあったので。

一度ハマったら飽きるまでやって、飽きたらすぐにやめてしまう傾向があるので、三日坊主よりタチが悪いのかもしれません。

まあ数ヶ月は集中して続けて、飽きて放置、閉鎖。という流れのブログが無料ブログも合わせていくつかありました。

そもそも、熱しやすくて冷めやすい体質なのか、今まで立ち上げては消してきたブログではテーマを決めていたんですよね。

例えばダイエットだけとか、恋愛だけとか。

だから、その分野にハマって飽きたら放置してしまう。

こうやってじっくり文章にして振り返ってみると、このブログのテーマは幅が広すぎて散らかっちゃってるのが私の性に合ってたのか。

散らかしたのが続いた理由だと思います。

三日坊主でも続く方法

もともとは脱サラしたし、ブログでお小遣い稼ぎのつもりで始めたんですよ。

そりゃ稼げるもんならガチガチの稼げるブログにして稼ぎたいとは思ったけど、逃げ道は残しとかないと続かないなと自分なりに自分の性質を分析して趣味全般で。

決められた言葉で埋め尽くした誰が書いたかわからないような文章にはしたくなかったし、自分の意見も言いたいし、好きなように書きたい。

好きなことを好きなように書いて新しいカテゴリを作って、また別の興味のあることを書いてまた新しいカテゴリを作る。

日記を書いてみたり、アフェリエイト記事的なもの書いてみたり。

それはそれはもう、散らかってます。

でもいいんですよね。自分でお金出して書いてるブログだし。

結果、自分の好きなこととか興味のあることとか、その割合とかが見えてきましたよね。

しかも続いてる。

全体を見てあげて、ブログが続いてることを評価してあげてもいい

好きなことを書いてからカテゴリを作る方法で、ここまで続けてきた三日坊主な私が運営しているこのブログ。

一つ一つのカテゴリを見てみると中途半端にやったりやらなかったりしてるのもあるけど、「ブログを続ける」っていう大もとの目的は果たせてる。

ブログ自体が続いてることを評価してあげたい。自分のことをね。

最近は興味本位で書いた記事も、無理やりどこかのカテゴリにはめ込んでます。

都合のいい融通のきくカテゴリを作っとけば、都合よくそこに入れられます。

いいんですよ、これで。

検索とかツイッターとか、いろんな入り口から来てくれて読んでくださる方も、興味のある記事しか読まないだろうし。

自分だって、誰かのブログにお邪魔した時、興味のある記事しか読まないもん。

新聞とか雑誌もそう。

人って興味のあるものしか目にしないから。

いやもう奇特な方が、私自身に興味を持って読んでくださってるのなら、いろんな記事とか全体とかを見てくれるかもしれないですけどね。

そしたら「こいつ散らかってんな」って思われて終わりかも。笑

三日坊主の憧れは「続ける」こと

なんだかんだ言っても、何事も続けたもん勝ちだと思うんですよ。

コツコツと諦めずに続けることが肝要。

逆を言うと、続けた人だけが何かを得ているような気がする。

何かを続けることってやっぱり難しいものなんですよね。

ダイエットだって勉強だって、続けることを続けられる人が目的を成し遂げてますもんね。

やめたら終わり。

でも三日坊主にとっては、「続ける」を続けるのはとても苦行。

「続けるのが苦行」

なるほど、修行に戻った。

こう言うことなのですね。

三日坊主の言葉の由来が、今とても腑に落ちました。

修行が厳しいから三日で俗世間に戻る「三日坊主」の言葉の意味の中には、飽きっぽいのを克服するのも全て含めて「修行」として例えているのですね。

「三日坊主」が悪いよ、って言う意味じゃなくて習うべき教訓として受け取ればいい言葉なのかもしれません。

日記や雑記の何が悪いの?

と言うことで、今回もノンジャンルで書きたいことを書いています。

以前はちょっと、こんな日記公開していいのか?って悩んだ時もありました。ノンジャンルとは言え、何かの情報がだけが欲しい人にはこんな知らない人の日記なんて意味ないし。

意味のない内容の薄い記事を公開すると、

Googleさんの評価が…とか

検索順位が…とか

ブロガーさんなら皆さん気にしてらっしゃいます。

でも自分でお金出して運営してるブログだし、最低限のマナーや、倫理と道徳を守っているなら好きな記事を公開するのは悪いことではないと思います。

しかも誰かが見てくれれば広告だって誰かの目に留まる。

Googleさんは検索を主なお仕事にしている会社なので、検索順位を付けるためや効率を上げるために色々な評価の基準を設けてるけど、広告を出してる広告主さんはどんな記事からでも見られることに価値を置いてるはず。

ブログを読む立場からすれば、何か調べ物をして情報だけが欲しい時もあるし、誰かの日記で色々な考え方や哲学を知りたい時もある。

日記や雑記も必要なのです。

ガチガチに稼ぐブログでは、この限りではないとは思いますが。

三日坊主でも逃げ道を確保すれば「続ける」ことを続けられる

一つのジャンルに絞らないことで、三日坊主の私でも一年以上もブログを続けてくることができました。

全体のジャンルは絞ってないけど、中身は一応区別して、「ビューティ」や「トラベル」などそれぞれのカテゴリに分けています。

この記事もジャンル分けできない、私のただの日記かもしれません。

でも私は「カテゴリ」と言う逃げ道を作ると言う必殺技を身に付けています。この日記記事は逃げ道として作っておいた「ひとりごと」に入れちゃえばいいのです。

それともう一つの大きな逃げ道は、ブログのサブタイトル。

「好きなこと。楽しいこと。嬉しいこと。」

この範囲だったら私は何を書いてもいい。

タイトルで「ダイエット」だけとか、ジャンルを絞ってたからネタが尽きたり、飽きちゃったりで続かなかったのだと思います。

ゆるくて幅の広いサブタイトルをつけてジャンルを絞らないことと、色々興味があるのならカテゴリで逃げ道を確保すること。

日記でも雑記でもいいじゃない。

これが三日坊主の私がブログを続けてこられた、一年過ぎて最近気づいた秘訣なのでした

 

伶花

 

 

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